のぞみ94号東京行き3号車6番E席に座っている。荷物棚には大きなキャリーケースがいくつも並んでいる。押し殺されたような静けさの中で後方から赤ん坊の泣き声、前方から猫の鳴き声。本来ならば3号車は自由席のはずだがこの年末年始から全席指定に変わったらしい。車両ポジショニングに若干の違和感を感じながらぼんやりと外を眺める。古びた柿色の空に舞う、砂のような時間。この世界がさらさらと、車窓から遠ざかっていく。

千駄ヶ谷の補聴器外来。2月初めに慶応病院で右耳の手術を受けることになったので、こちらへの通院は一旦これで終了、術後2ヶ月後、聴力の評価が安定するまで貸し出しを延長して頂けることになった。とはいえ会社のリアル会議、夜テレビを観るとき位しか使ってないんだけど。

今も音楽は概して85〜90%程度しか聴き取れないけど、電気による音の増幅をしない楽器メインのサウンドは問題無く聴き取れたりする。例えば1960年代前後のJazz、『Kind of Blue』は今年自宅でPower Playされたアルバムの中の1枚。

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1月、左耳の聴力が急降下してからというもの不安、絶望感…といった感情の揺れ動きにすっかり滅入ってしまっているんだけれど、先日判明した「右耳蘇生の可能性」を信じてネガポジ反転させよう。

先日、師匠からの指摘を受けて調べた結果、所有しているギターのうちGibson Les Paul Gold Top(1989製)が意外に希少性の高いものであることが分かった。90年代に始まるヒストリックコレクション前、言わばヒスコレ黎明期の極短期間に300本製造されたもので、今では70万円程度で取引されているそうだ。確かに指板は他のモデルより高級そうな材が使われているし、何よりボディ(右肘あたり)のグリーニング(緑青)が貫録ある経年ぶり。ちなみにピックアップはオリジナルのP-100からLindy FralinのP-90にリプレイス済みで、今となってはこちらも貴重(ご本人高齢のため販売中止になっているらしい)。僕もその分歳を取ったということなんだけと、ともあれ音は齢を重ねると共に良くなっている、それは自分が音楽的に成長しているからだと思いたい。

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にじり寄る年波。しかし今もまだそのストーリーの途中にいるのだろうか。手のひらに拡がる破壊が、光りながら季節を渡る。

内側から胸を突き刺すナイフのような、冬の感傷。

子午線が真理を定義し、川が真理を局限する。意外と単純なんだな、この世界は。