ダル・セーニョでジャンプしながらフィーネの無い曲を書き続ける。狂気が創造に力を与え、創造が狂気から芸術家を救う。

… と三次元曲線を回転し無限上昇しながら記す。気が付けば生産性ばかりがこのセカイの評価基準。


入学式に出席。内容より形式。急激な陽光の変化、喜びと不安の射す角度、の変化。

これを聴いていた。

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AJICO『AJICO SHOW』(2001)


はっと息をのんで、次の呼吸のタイミングについて考えている。するとテープが巻き戻されるかようにイメージが退行し、昔観たフランス映画のワンシーンで停止する。しなくてもよい論争、記さなくてもよい言葉。不安にずきりと胸を突かれ、心の中から何かが落下していくような感覚。

これを聴いていた。

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坂本龍一『1996』(1996)


ギターとピアノを行ったり来たりしながら作曲作業。途中、目白台方面へ散歩。四月の鈍色の空、鳶色の貨物列車が走り抜ける。

これを聴いていた。再結成するらしい、ライブ観たいなぁ。

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AJICO『深緑』(2001)


村上春樹氏の早大文学部入学式での祝辞が面白かったのでメモランダム。

「心を語る」というのは簡単そうで、難しいんです。僕らが普段、「これは自分の心だ」と思っているものは、僕らの心の全体のうちのほんの一部分に過ぎないからです。つまり、僕らの「意識」というのは、心という池からくみ上げられたバケツ一杯の水みたいなものに過ぎないんです。残りの領域は、あとは手つかずで、未知の領域として残されています。僕らを本当に動かしていくのは、その残された方の心なんです。(中略)意識では、論理だけではすくいきれないもの、そういうものをしっかりゆっくりすくい取っていくのが、小説の、文学の役目です。心と意識の間にある隙間を埋めていくのが小説です。