大井町の改札を抜け、光学通りを西へ歩いている。ちょっと変わった通り名だが、その昔この付近にニコン(旧日本光学工業)の工場があったことからこの名が付けられたらしい。あちこちで視界に入るNikonの黄色いロゴ、子供の頃夢中になった銀塩写真。しかしペーパーメディアの(経済的な)凋落ぶりが凄まじい。いや、芸術への特化が進んでいると解釈すべきか。今日もそんな感じ。

滋賀県米原市。雪山を分け入ったところに広がる、極寒の工業団地にいる。なぜここにいるのか、自分でもよく分かっていない。

帰りの「ひかり」に乗り遅れる。次の東京行は1時間後であることを知り、絶望の中でこのテキストをタイプしている。

夕方、西新宿でeelleリハーサル。今回から新メンバー参加、音像空間が一気に拡がった。終了後、昭和の残り香漂う居酒屋で乾杯。

圧倒的、とは時間の長さのことではない。

信濃町の慶應病院へ。術後1年検査の結果は前回(9月)から殆ど変化なし。日常生活に大きな影響を及ぼすほどではないものの、(何度も書いているけど)音楽が80~90%程度しか聴き取れないのがとても辛く悲しい。耳鳴りに静寂を奪われるのがとても苦しい。件のチタン製耳小骨はこの秋認可されるとのこと、その後再手術の準備をしましょう、検査結果からもっと聞こえが改善される可能性があるのだがら、とO医師。嬉しい。

慶應義塾大学病院聴覚センター

夕方、馬場のスタジオで新曲のメロディラインを確認。お前はまじめだな、と揶揄されたことがあるが、創作には閃きだけでなく、それを具体化するための圧倒的な時間が必要だ。

表へ出ると、降りしきる冷たい雨。それが雪なら展開が変わっていたかもしれない。