何とか快復。
午後、仕事関係で電通本社隣のビルへ。大江戸線汐留駅で下車すると、どこもかしこも外国人観光客だらけである。この街のサラリーマンたちはみな、電通ビルに幽閉されちまったのだろうか。
今朝散歩の道すがら、明治通りの横断歩道で老婆が倒れていた。どうやら、車に轢かれてしまったらしい。すぐ近くで轢いた当人と思しきおじさんが地面を見据えている。警察はまだ駆けつけたばかり、といった様子で状況検分に忙しい。暫くの間その老婆を見ていたが、全く動かない。死んでしまったのかもしれない。
午後、渋谷シネパレスにて「世界の終わりという名の雑貨店」。とてもデリケートなフィルム。終映後暫くの間、立ち上がることができなかった。
その後お気に入り「ANNIVERSARE CAFE」にて、ギネス飲みながら妄想に耽る。自分の居場所がみつからず、毎日自分に手紙を出し、届いた手紙を読み返しながら扉を閉ざしていく少女。苛酷な友人関係に忍従しながら孤独にグライドしていく少年。そして新しい音楽の茫漠としたイメージ。僕はいくつかの額縁の無い絵を見た。
死があるから生きている。死が無いということは、とても苛酷なことだ。だけど、僕がここ暫くの間見てきた絵には、死が無い。果てしない孤独ととってもあえかな意志があるだけだ。
風に吹かれ、枯れ葉が次々と落ちていく目前の有り様。
(2001/11/25)