余白の多い目白通り。余光散らばる道端に腰掛け、これを聴いている。

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BUDDHA BRAND『人間発電所 プロローグ』(1996)

秋は夕暮れ。風が落としていく都市の影と、心の陰。

疲労の埃に記憶はすっかり露出オーバー、閃きかすかに京王線車中にて。

面影橋から江戸川橋方面に向かって歩いている。このエリアは30数年前、僕の生活そのものであった。行き先があるようで無いようで、行きつ戻りつしながら神田川は今日も、流れている。

黄昏の冷却装置のなかでひとり、逝ってしまった夏を弔うような仄暗い水銀灯。

考えるばかりで無為に時間が過ぎていく、しかしそれさえも無為である。

もう九月も終わりだな。

中途半端な難聴を煩って以来、音楽の聴き方に苦労し続けている。普段聴いているリビングのスピーカー(BOSE-301V)はライブな音、なので耳が全ての音を拾い切れず音程が狂って聞こえてしまう。デッドなもの(モニタースピーカーなど)に換えれば改善するような気がするので量販店に試聴しに行こう。それから補聴器。「新しい聞こえ方」に慣れようと努力しているんだけど違和感を拭い切れず、低域と高域が圧倒的に足りないのだ、会話の聞き取りを最優先に設計されているのでやむを得ないんだけど、いろいろ調べたところ耳穴タイプに変えれば改善しそうな予感なので来月補聴器外来で相談しよう。