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藍色の風信を夢見ながら
相対する心が言葉とならないまでも
きらめく彼方の一線を描き続けている
海と空の節度のように

2006-03-31


「メディアはメッセージである」

メディアが発したメッセージ以上に、まさに電子メディアそれ自体が現代人の知覚を広げ、価値観を変えた。

「メディアはマッサージである」

これはメディアが中立的なものではなく、人々に何かをするものだということである。事実、メディアは人々を掴み、揺さぶり、転がし、マッサージする。メディアは人々の心の窓を開いたり閉じたりする。

マーシャル・マクルーハン『電子メディアの可能性』

2006-03-30


ここ暫くの間、ユカワとeel ver.2.0について意見を交わしている。先ずは曲を創らねばならないが、同時にライブする場所も変えようと思っている。夏頃には具現したい。

相変わらずせわしない日々。間もなく卯月、ウサギはウナギ目の哺乳類なんだってさ。

2006-03-29


朝っぱらから某映画誌の製本立会へ、志村坂上、凸版印刷。ひっきりなしに用紙を積載したトレーラーやら版材を運ぶトラックやらが行き来している。そんな活気に満ちた工場の様子にわくわくしながら、春の陽気とも相まって。

胎動の さくらさくよな 季節かな

2006-03-28


(休憩)

2006-03-27


(休憩)

2006-03-26


(休憩)

2006-03-25


仕事帰り、南新宿ギャラリーZ。その孤独な男は血の付いた針で漆黒の夜を縫い綴る。苦悩と理念を繋ぎ止めようとするかのように。

2006-03-24


花の芽ぐんでまだ開かない。

正午、空白の時刻。三日月、都市の回廊。そして崩落の意味。

春は残酷な季節である。

2006-03-23


妹から国際電話。彼女も自律神経失調症で苦しんでいるらしい。僕は克服したけど、そのきっかけは彼女の「のほほんと暮らすのが最良の薬だよ」という言葉だったんだけどなぁ。

人間は飽くなき欲望を追求すべき宿命にあり、現時点でイメージできないものでもそれが整合するよう努力して行かなければならない生き物である.....

じゃ、ストレスってアフォリズム?だとしたら何に対する?

2006-03-22


WBCを観る。試合終了後、セマンティックWEB。夜、有酸素運動60分。中野坂上往復。

2006-03-21


どうしてまた言葉などに頼ろうとするのでしょう
愛しい人よ、そのように問いつめないで下さい
実を言うと、あなたに申し上げることなど何も無いのです
でも、愛しいあなたの手が、ともかくも
この手紙を受け取って下さるのですから

2006-03-20


春荒れな一日。しかもとっても寒い。だけど陽射しは間違いなく春のそれである。

終日、家でお勉強。しかし根気が途切れ途切れ。なんか疲れている。

夜、東の空に奇妙な月。気まぐれな季節を象徴するような。

2006-03-19


午後、トラブル発生にて緊急出社。各所に連絡するも本日は土曜日、全く連絡取れず。途方に暮れる。

2006-03-18


仕事帰り、ユカワに誘われBar BOX。音楽とは何だ?芸術とは何だ?Blixa Bargeld(ブリクサ・バーゲルド)、Einsturzende Neubauten(アインステュエルツェンデ・ノイバウテン=崩壊する新建築)、Nick Cave & The Bad Seeds、エト セトラ。

2006-03-17


年度末、ということで不気味に忙しい。今月一杯、クリエイティブな活動はできそうにないな。

春嵐、二十四番花信風。一行でも二行でも、何か書き続けたいと思う。書けばきっと、新しい風が吹く。

2006-03-16


早春賦。

今宵の月はとてもきれいです。
澄んだ夜空がまるでカンバスみたいに、
そして都心のたおやかな光が優しくそれを彩っています。

のっぺらぼうな読者の皆様へ。

2006-03-15


私の独語、それが同時に
人類の独語になること
を目指すのが「文学」で
あり、しからざるものは、ただの
文字の連なりである。

埴谷雄高「吉祥寺独語」(1995-12-21)より。

2006-03-14


マスの時代は間もなく終わる。くだらぬポップミュージックに踊らされていた輩は路頭に迷う。そして僕らは息を吹き返すのだ。

「荒正人は全てをモダンにするのが上手かった。本多秋五は文学を学問の方へ引き寄せようとした。平野謙は解説に力を入れた。だが、こぼれるものが文学なんです」

埴谷雄高「吉祥寺独語」より。

2006-03-13


(酔漢)

2006-03-12


春うらら。午後、近所のカフェテラスでお勉強。どうしてもXMLとセマンティックWebを把握したくて。

夜、有酸素運動60分。汗だくだく。

2006-03-11


メモ。

最近、Web2.0という言葉をよく耳にする。ここでいうWebとはインターネット上の、Webブラウザを介して供給される様々なサービスのことである。2.0とは次世代という意味なので、それはインターネットが新しい時代に以降しつつあるということを示す表現となる。

次世代が模索されている理由は以下の通りである。

(1)インターネット上のアプリケーションを、1980年代のソフトウェア革命時代の企業が先導していた時代が終わった。
(2)インターネットの構造も1990年代とは大きく変わりつつある。
・Webがパブリッシング型、ブロードキャスト型から参加型へ
・Webを支配しているのが企業から個人へ(コンテンツの配信者が広告主から消費者へ)
・上位のポータルサイトが独占する時代から用途や好みに応じて選択する時代へ
(3)ソフトウェアの開発ルールがインターネット時代に合ったOpen Standardなものになった。

Web2.0は特定の技術やサービスのことではなく規格化できるものではないため捉えにくい概念であるが、新時代にふさわしいいくつかの原則のようなものがある。

・Webサイトは静的なHTMLを単に置いている時代から独自のコンテンツやシステムを作り込む時代を経て、コンテンツ自体が協調して自動的に連携する時代に。
・そのためにはゴミのような莫大な情報の中から最適なものだけを探し出す検索の仕組みが重要になるが、利用者によって情報の用途や重要性が異なるためこれまでの階層型データ管理でも、高速の全文検索でも処理しきれなくなる(メタデータ検索、セマンティックWebの重要性)。

やがてシステムやアプリケーションの資産価値は急落し、コンテンツそのものの重要性に対する認識が高まる。そして重要なコンテンツは囲い込みが始まり、しっかり管理すべきコンテンツがランク分けされるようになる。これからはコンテンツの時代であることは間違いないだろう。

2006-03-10


(煩忙)

2006-03-09


(煩忙)

2006-03-08


朝っぱらから役所数カ所巡礼の旅。しかし手続きの複雑さ、対応の横柄さに苛立つことしきり。それでも奴らは電子化を進めていい気になっているらしく、不気味な入力画面の前に座らされ「はい、これを押してくださ〜い」とバイト風のおねいさんに指導される。処理の不手際を指摘すると「しばらくお待ち下さ〜い」と待たされること30分。こんなの民間じゃあり得ないよ。

2006-03-07


創造が狂気のお陰で行われるのか、創造が狂気の破壊的な力にも関わらず起こるのか、それとも創造が狂気の替わりに現れるのか。

いや、正気あってこその創造だと思う。

2006-03-06


浅き春、燦々たる陽光。

夕方、高田馬場のスタジオでeelリハーサル。暫くは地味なセッションを重ね、ゼロから何かを産み出す作業に主眼を置こうと思っている。

その後皆でビール。春待つ梅は、暖かきなり。

2006-03-05


有酸素運動60分。山手通り、初台往復。春の兆し。

夜、加藤(弟)夫妻、丸尾夫妻&韓国人のIさんと共に新大久保で韓国料理。焼酎のボトルが見る見る空になっていく。

午前零時、電柱などにぶつかりながら帰宅。

2006-03-04


このように僕がメディアの文法に拘るのは、もっともっとeelサウンドをこの世界に響かせたいからだ。大手筋の流通なんかに端から興味が無いから尚更だ。

2006-03-03


引き続きXML、セマンティックWEBの把握に努めている。それがペーパーメディア、パッケージメディア(CD、DVDなど)と同等な、いやそれ以上に信頼できる電子メディアとしての可能性を存分に秘めていると確信するからだ。

例えばMP3ファイルにはID3タグというものが用意されている。それに曲名、アーティスト名、ジャンル、歌詞といった属性データを記録することができる。

そしてそのタグ情報が初めてコンピューターにコンテンツの意味を理解させる。そしていつの日かWWWが世界図書館となって(あ〜酔っ払ってしまった、中断)

2006-03-02


コンテンツ不在なまま肥え太る電子メディアに、亀田三兄弟の闘拳を。

「ああ青蝿のごとくこ五月蝿き人達よ 豚に真珠だ貴様らに 聴かせる歌など無くなった」

エレファントカシマシ『男は行く』より。体脂肪率は低い方が信頼できる。

2006-03-01


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